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2008.07.25
2008.6.15 トリ小屋プロジェクト・その2

 5月25日に、一日がかりでトリ小屋の棟上げを終えた。会社の庭の片隅に鎮座するのは、畳4枚分の広さ、高さは2メートルほどの、なかなか立派なトリ小屋だ。
 私1人でやったわけではない。昼過ぎから3人が手伝いに来てくれて、会社のスタッフも含めて合計5人がかりだった。
 手伝いは、特に無理にお願いしたわけではなかった。みんな小屋を作りたかったのだ。1人は木切れを集めて立派なドアを作り上げた。もう1人は、ミカン箱のような産卵のための部屋作り。1人はずっと鉈で孟宗竹を二つに割り続けた。これは壁代わりに柱に打ち付けるためのものである。
 私は、もっぱら土木工事。柱を乗せるブロックを固定し、小屋の敷地の周りに排水用の溝を山グワで掘った。庭は砂利で固めてあったから、これはたいそう骨が折れた。そうそう穴を掘って柱を立て、止まり木を作るのも私の仕事だった。
 こうした準備作業を終えると、全員で棟上げだ。柱を支えながら、桁をカスガイで留めていく。スジカイで柱と桁がぶれないように固定し、屋根には孟宗竹を丸太のままモヤとして並べていった。
 全員汗みどろになりながら、トリ小屋としての全体像を見るまでには、たっぷり夕方までかかった。
 眺めながら、悦に入った。とにかく出来たのである。手伝い人からは「これで壁と床を張ったら立派な家だ」「この次は家を作ろう」などという軽口も出た。
 考えてみれば、4畳の広さのある小屋の棟上げが、たった一日で出来たのである。地震や水害で家が潰れても、雨露をしのげる程度なら、すぐにどうにか出来るという自信が付いたのも事実である。
 最近、子どもの教育に関連して「生きる力をつける」という言葉にしばしば出合うが、どうも、他者との競争を前提にしているような気がする。
 そうではなく、衣食住を自分自身で調達出来るのが本来の「生きる力」であろう。だとすると、私たちは遅まきながら、住の部分でほんのちょっぴり「生きる力」を獲得できたということになる。
 金があれば何でも調達できる社会は、逆にもし金がなければ、という恐怖に、常にさいなまれることになる。
 為政者は恐怖をいかに巧妙にコントロールするかである、という俚諺が、ここに立ち現れてくる。私たちが自由であるためには、金を介在させずに衣食住をそれぞれが調達できるようになること、などとちょっと真面目に考えた。


2008.5.15 トリ小屋プロジェクト

 
卵かけご飯が無性に食べたくなる時がある。だが、スーパーの卵では食べる気がしない。
 
ウソかホントか、卵好きの女の子が毎日2.3個食べていたら、4歳から生理が始まったという話を聞いたことがある。餌に混ぜられている成長ホルモンのせいだ。
 こういうとき、出版社をしていてよかったと思う。小社には、『トリ小屋通信』(小社刊)の著者がいる。先日、自然卵(小羽数平飼い、薬剤フリー)をダンボール1箱、送ってもらうことができた。会社の皆で山分けしたのだが、おいしいこと、おいしいこと。
 その舌の感触も新鮮な昼下がり、不思議な巡り合いがあった。アイガモ農家の橋口さんちに伺ったら、庭先でなにやらピヨピヨ鳴いているではないか。箱の中を覗くとヒヨコだった。近所の農家に頼まれて、飼いやすい大きさになるまで面倒を見ているとのこと。
 「何匹か貰えんですかぁ」と私。「3、4匹余るはずだからただでいいよ」と橋口さん。
 よーし! 会社でニワトリを飼おう! このご時世、出版社もいつまでもつか分からない。繁殖させて、100羽まで増やそう。卵も売ろう。夢は膨らんだ。
 テキストもすぐに買い求めた。この世界では教祖的な信望を集めている中島正の著『自然卵養鶏法』(農文協)である。
 うれしいことに、トリ小屋の作り方も丁寧に図入りで載っている。
 「鶏は審美眼を持たないのだから、どんなに豪華な鶏舎を与えたところで、そのために喜んだり、感謝したりすることはない。…いかに近隣、友人、知人、業界などがそのお粗末な鶏舎を軽蔑しようとも、鶏はぜんぜん気にしていないのだ」
 なんとも心強いメッセージではないか。
 よし! ただで作るぞ。
 知り合いに廃材を頼んだら、家一件分の材木を手配してくれた。孟宗竹も別な知り合いがただでくれることになった。
 高校時代のチリメン漁師の友人には、いらなくなった魚網を頼んだ。これで金網を買わずにすむ。
 雨漏りしたら可哀相だから、トタンだけは買うことにしたが、あとは一円も使わずにすみそうだ。
 会社のほかの社員に気付かれないように、仕事中にこっそり設計図も描いた。何度も何度も、修正したから完璧だ。
 いよいよ、来週はトリ小屋の棟上だ。ニワトリ飼うぞー。卵をとるぞー。うまいぞー。トリも食うぞー!!


2008.4.25 父島人肉食事件

 小社は鹿児島にあるのだが、小笠原本も、これまで4冊出している。そのお陰で、3年前には小笠原まで実際に行くことが出来た。
 東京の竹芝桟橋から船で30時間、飛行機は通っていない。一週間に一便だから、向こうで5日間は滞在しなければならない。本の営業に行ったのだが、狭い島のこと、ものの半日もぶらつけば仕事は終わってしまう。後は青い空、青い海、色とりどりの魚……。極楽生活である。
 鹿児島に暮らす人で、小笠原まで行った人はほとんどいないだろう。10人くらいか。羨ましがる人はあまりいないが、何となく鼻が高い。
 戦後、米軍政下に置かれた小笠原諸島も、今年、日本復帰50周年を迎える。このタイミングに合わせようと、戦中戦後史の原稿が、また新たに舞い込んできた。
 著者は米国人の研究者エルドリッヂ。阪大の助教授だが、米軍の太平洋軍司令官の政策顧問もやっていたからちょっと怪しい。小社内でのニックネームはCIA。でも、原稿はとても面白い。
 タイトルは『硫黄島と小笠原をめぐる日米関係』。米公開公文書を駆使して、アメリカの軍事戦略を明らかにする。現在の基地問題の背景を知るために不可欠の書となろう。
 1000枚を超える原稿を読むのはたいそう骨が折れるが、アメリカ側の資料はなかなか興味深い。
 凄まじい硫黄島戦。栗林中将は、米軍が期待したおろかなバンザイ攻撃をとらなかった。そのせいで、アメリカ側の死傷者が日本を上回ったのだ。
 原稿を繰っていてあっけにとられたのは、父島人肉食事件である。
 撃墜して捕虜にした米軍のパイロットを処刑し、軍医に解体させた肝臓や太ももの肉を、立花芳夫少将らが、宴会ですき焼きにして食べていたのである。
 これまで断片的には知られていたのだが、今回米側の資料、特に日本で初めてグアム戦犯裁判の記録を用いることで、全容が明らかになった。目的は戦意高揚。吐き気をもよおした部下にも無理やり食べさせたという。
 食べられたのは一人ではなかった。ホール少尉他、少なくとも4人の名が確認されている。
 ブッシュの親父(元大統領)も、父島沖で撃墜された。米潜水艦に救助されたが、一歩間違えば食べられていたのである。
 日本軍の狂気を細部まで明らかにした本は、なかなかお目にかかれない。米国人ならではの視点か。しかし、この人肉食事件には本当にたまげた。
 本書は6月刊行予定。予約可。


2008.3.25 私有制とゴミ


 会社の事務所は下田町にある。市街地から車で15分ほどというのに、辺りにはのどかな田園風景が広がる。
 心安らぐ申し分のない環境なのだが、最近気になることがある。それは、道端に空き缶や弁当ガラのゴミが散乱しているのである。冬場草が枯れると、捨てられたゴミが姿を現してくる。
 白いビニールゴミはなかなか朽ちないから、ずっとそこにある。何年も前の奴から、最近のものまで、累積されて今がある。
 誰がどういう気持ちで捨てるのかを考えていると、ふと思い至った。私有制が、このゴミ捨ての根本原因ではないかと。まさか自分の庭や畑の内には捨てまい。ところが、外の他人の土地には平気で捨てる。私有の概念がなく、内と外の区別がなければ、誰も捨てないのではないか。
 先日奄美で磯遊びをしたとき、浜辺のゴミを見ながら友人にこのことを話したら、一島共有地、つまり土地私有のない沖縄の久高島にはゴミ一つ落ちていないと教えられた。私の仮説は当たっていたことになる。
 もう一つ。今から70年ほど前、米デュポン社のカロザースがナイロンを発明し白紙の小切手を社長からもらったという「美談」がある。だが、このカロザースのようなプラスチック製品の開発者こそが、汚いゴミを作った最大の張本人ではないかと思うのである。
 私も畑仕事の折など、ミカンの皮とかはそこらの山に捨てる。それらはすぐに朽ちて土になる。だが、ビニールは朽ちない。
 作れば売るのが私企業である。後先考えずに売りまくる。製造者責任が言われ出したのは最近のこと。それでも、まだまだ不十分な事はリサイクル法を見ても明らかだ。
 世界市場で売るためには相手国の文化さえ平気で変える。買った市民も悪いという論理もあるが、買わされていく構造も見なければならない。原発の電気と同じである。原発以外の電気を選択することは残念ながら私たちにはできない。
 川内のゴミ処分場建設が問題になっている。土地の透水性が焦点になっているが、本質はそこにはない。ゴミを誰が作ったのか、そこに根っ子がある。どこにも完全な土地などない。漏れるに決まっているし、やがて地下水は汚染される。
 作ることをやめさせるか、ゴミ処分場を作らせないか。ニワトリが先か卵が先かの例えがここに生かされよう。ゴミ問題から永久に解放されるために、ゴミ処分場を作らせないという運動はとても大切なのだと思う。


2008.2.25 正月明け

年も明けるといろんな話が舞い込む。
 1月16日。某著者の自宅丸焼けの連絡。それも、年末ギリギリ、12月の31日のことだったという。
 以前にもこの欄で紹介したことがある。飲み屋の階段から転げ落ちて目を失明しそうになったとか、退院して帰宅したら、嫁さんが虎の子の1600万入りの通帳とともに消えていたとか、遊びに行った東京ではスリに会い10万送れと言う電話が南方新社に入ったりとか……。何かと話題には事欠かない人である。
 よくよく聞いてみたら、数日家を空けていたから、放火以外には考えられないという。戦前のアジアにおける日本軍について、新聞にも投稿していた。「殺してやる」と言う脅迫電話が頻繁にかかってきていたらしい。
 おっ、南方新社にも、「天皇からもらった日本刀で手と足を切りにいく」という電話が、ずっと前にかかってきたことがあったっけ。気をつけよおっと。
 1月20日。取引先の書店がまた一つ閉店した。問題は70万ほどの未入金があるということ。
 小社は書店さんに本を委託して売れた分を支払ってもらうようにしているのだが、書店も、景気が悪くなると売上代金をそのまま生活費に回してしまう。去年潰れた書店などは売上代金を全てオヤジが飲み食いバクチに使ったものだから、被ったお金は250万ほどになってしまった。あれはうっかりしていた。
 今回は、3年ほど前からおかしくなっていたのでマークしていた。支払い依頼にも何回か足を運んだ。その都度、80歳を超えたであろうおばあちゃんが、缶コーヒーをくれるものだから、ついつい強くも言えないでいた。やれやれどうしたもんだか。
 それにしても、年明け早々、痛い。
 1月26日、川内原発温排水口の周辺で、異様な光景を目にする。
 なんと、ヒラアジが釣れに釣れているのだ。県外ナンバーの車も何台か駐車場にある。熊本から来た3人組は大きいクーラーボックス満タンだ。
 ヒラアジといってもカスミアジ、ロウニンアジといった南方系の魚の幼魚である。死滅回遊魚なのだが、周辺海水より8度高い温排水に引かれ集まってきた。だが、温排水にはパイプに貝の付着を防ぐために毒(九電によるとカルキ)が混ざっている。餌になる小魚はいない。腹をすかせた魚達はルアーに脇目もふらず飛びついている。浜には、毒で死んだ大量の貝の殻や、1メートルを超えるダツの死骸が2匹打ち上げられ、カラスが群れていた。


2008.02.14 ご挨拶

拝啓 皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 毎度のことながら、今年も年が明けてからのご挨拶。積み残しの仕事を山と残しながら、ともあれ2007年、南方新社も何とか1年を終わることができました。
 小社の著者の一人である鹿児島大学理学部の橋爪健郎先生に誘われて、大学で地球環境エネルギー論という講義をするようになって3年を過ぎました。
 近年の温暖化・CO2原因説は、政府および企業が錦の御旗にすればするほど胡散臭さが増すように感じるのは、私だけでしょうか。昨年の日本物理学会でも、CO2との関係は証明されないという報告がなされ、学問的にも決着はついていないようです。
 しかしながら、近代資本主義が限りなく破壊を続けているのは事実です。密林の消滅や砂漠化は分かりやすいのですが、私たちの足元も生態系の破壊と、文化の破壊は延々と続いています。薩摩隼人(嫌な言葉ですが大和魂も)とかの言葉はすっかり実体をなくし、私たち自身がすっかり欧米的な思考に染まりきっているから、何も気がつかないだけなのでしょう。
 大学では、破壊から身を護る術として、膨張を続ける都市と決別し人と物の移動を小さくする地域自給からの発想を展開しました。地域の歴史、人と自然が融合した暮らしの知恵、地域の自然の多様さと生態系……。これらは、南方新社の出版活動とオーバーラップするものでした。
 さて2008年、刊行を決定しているものとして、手元にあるものを含めて3月までに20本ほどの原稿が届く予定です。今年は、近年になく多くの本を出す事になりそうです。貴重な地域資源の出版と、出版社としての継続。なんとか両立を果たしていければと、毎年のように新年の願いです。

 
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